Grayscaleのデザイナー奧村清太朗へのインタビュー。
作業場を構える福岡の自宅の一室にて。

Grayscaleが生まれたきっかけは?

地元福岡の工業高校を卒業して、元々は名古屋のエレベーターの会社で働いていました。その会社の仕事内容は充実していたけれど、ある時から「1人で何か始めてみたい」と思うようになり、会社を辞め単身福岡に戻ってきたんです。ぽっかりと空いた時間を使ってイタリアに行ったり、1日中本を読む時間を過ごしてみたり。そんな時、もともと好きだったものづくりを、自宅を作業場に個人で活動されている方と出会いました。製造業は専門的な機材で量産して成り立つものだ、という思い込みが崩れたことが最初のきっかけ。刺激を受けて自分で機材を揃えたりしながら、独学で始めたものづくりが今のGrayscaleという形になっています。

ブランド名の由来は?

当時も今も、素材や視覚的にもミニマルなデザインのアイテムをつくっていたので、ブランド名もできるだけ無駄をそぎ落としたシンプルなものを好みました。「Grayscale」は白と黒の諧調を表します。洗練されている印象があり、個人的にも白と黒の抽象的なコントラストが好きで決めた名前です。

ブランドのコンセプトはありますか?

何か具体的な言葉で決まっている訳ではありません。本当はあった方が良いのかもしれないけれど……。自分が本当に良いと感じるもの、好きだと思うものを楽しみながらつくっている感覚です。

どんなものが好きですか?

手数の少ないもの。デザインとしてミニマムで、すっきりとした直線的なエッジが好きです。モノクロの諧調を表す「Grayscale」というブランド名ですが、白と黒の「色」に執着しているつもりはありません。全体として見た時に引き算を重ねてできているシンプルなものに惹かれますね。

代表作とも言える「アクリル」×「モルタル」のホテルキーホルダーをはじめ、重さも手触りも異なる二つの素材を組み合わせたアイテムが多く見受けられます。その発想はどこから得たのでしょうか?

透明で、強度があるのに軽いアクリルはもともと好きな素材の一つでした。強度があると言っても、レーザーカッターがあれば2次元上ではある程度自由に形をとることができます。一方モルタルはどっしりとしていて重く、光を通しません。身の回りにありふれているもの。既に知っている素材ながら、正反対ともいえる二つを組み合わせたギャップが面白いのではないかと思い、試作を始めたことがきっかけでした。

2021年春から商品のパッケージにロゴ入りのくつ下を採用されています。業界の中でもかなり珍しい試みだと思うのですが、その理由を聞いてもいいですか?

アクセサリーは小さくて、繊細で、保護しなければいけないものですよね。しっかりとした硬い箱に入れて、中には優しい素材をつめる。指輪だと立派なウレタンのスポンジが入っていたりします。単純に、それがすぐに捨てられてしまうのが「もったいないな」と感じていたんです。だからといって、包みを開く時の胸が鳴る感覚も捨てがたい。Grayscaleのアイテムはプレゼントで送られる方が多いので、クリスマスのイメージによく登場するくつ下を緩衝材代わりに使うのが面白いんじゃないかと思って取り入れました。

Grayscaleはアクセサリーショップですか?

どうなんでしょう。洋服やインテリア、興味があるものは無数にあって、その中でたまたま今手掛けているものがアクセサリー。その時自分が関心を寄せているものをつくっている感覚なので、あまり自覚が無いというのが本音です。アクセサリーショップと言われるのは嫌じゃないし、むしろその通りなのですが、毎回ハッとさせられるような。

制作はずっとお一人でされているのでしょうか?

自宅の一室を作業場に制作から発送、SNSの更新までを一人で担当しています。今のスタイルが自分に合っているのでこのまま続ける予定ですが、今回のような記事制作や写真撮影など、Grayscaleと関わりたいと思ってくださる方を巻き込んで仲間を増やすことができれば、今までよりもっと面白いことができるのでは、とも考えています。

これからつくりたいものはありますか?

いろいろなもの興味があります。最近ウールのカットソーをつくりはじめたのですが、服づくりは今後も続けたい。他にも、少しサイズの大きな家具や、今まで以上に「美しさ」を高めたアート作品ともいえる一点物のアイテムにも挑戦してみたいです。

Grayscaleとして、もしくは奥村さん個人としてでも構いません。今後の展望があれば教えてください。

工業製品に限らず量産で生み出された製品も好きなので、いろいろなジャンルの製品の製造と、商品開発に携わってみたいです。生産設備や技術の充実した工場さんに数ヶ月単位でインターンに行ってみたいですね。ジャンルの異なるものづくりの経験が交差して、面白いものが作れる気がしています。

奥村さんのことについてもいくつか質問させてください。ご自身でどんな性格だと思われますか?

大勢よりは1人が好きです。長い間製造業の現場にいたこともあり、「つくる」ことへのこだわりは強い方ですが、基本はゆるい性格なのでスケジュール繰りに失敗してPOPUP前に慌ててしまうこともありますね(笑)。

会社を辞めものづくりを始める時に、福岡に戻ってきたのはなぜでしょうか?

もちろん働いていた名古屋や、東京など他の都市に行く選択肢もあったと思います。けれど、制作は基本的に単独での活動なので人の多い街を選ぶ必要は無いですし、東京には刺激的なものがたくさんありますが、そういったものは日常にせず、定期的に触れるくらいがちょうど良いのではないかと思っています。地元福岡に戻ることに迷いはありませんでした。むしろ今よりもっと田舎へ移り、広いアトリエを構えることも考えているくらいです。

街に影響を受けていると感じることはありますか?

わかりません。でも、きっと受けているのだと思います。幼少期から、会社員時代を除きずっと住み続けてきた街で、今日の自分を形づくってきたとも言える場所なので。福岡には今でも愛着があるし、すごく居心地が良いですね。

Grayscaleができてから今日まで、感じることに変化はありましたか?

始めたばかりの頃は無我夢中で、自分が良いと思う感覚を信じて手を動かし続ける毎日でした。この2年で、SNSでリアルな感想を目にしたり、POPUPでGrayscaleのアイテムを手に取ってくださる方と直接お会いする機会が増えて、これまで見えていなかった受け取り手を具体的に想像できるようになったのは大きかったと思います。空気をかき分けるような日々が一転して、制作にも力が入るようになりました。

その変化はGrayscaleのデザインにも影響していったのでしょうか?

いえ、それは特別変わっていません。昔も今も僕が惹かれるものは変わっていないですし、自分が本当に良いと思ったものを世に出す、というスタンスはこれまで通りなので。

手を動かすことが嫌になってしまう日はないですか?

もちろん人間なので気分の浮き沈みはあります。けれど、量産と言うレベルでは作っていないのと、全ての工程を自分で手掛けているので「頭を使う時間」と「手を動かす時間」をバランスよく組み合わせることで、楽しく続けられていると感じます。繰り返しの作業も多いのですが、実はそれも大切な時間です。いろいろな思いを巡らせて、手に取ってくださる方のことを考え、目の前の制作物と向き合うことで自然と手が動いているのではないかと思います。

Q.今も楽しいですか?

楽しいですね。「つくる」ことを始めたときのように、今でも気持ちは変わっていません。たぶん、それはこれからも変わらないんじゃないでしょうか。

text: miho Ikeda

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